心の拠り所【平日投稿4日目】

私は何者でもない

 

ふとそう思い、でもそのふとがずっと心に留まり胸の奥で詰まりを感じることがある。

原因は仕事のミスで他人から直接言われることもあれば、なんとなく雰囲気からそんな言外のメッセージを受け取ることもある。

またプライベートでの大なり小なりのイベントから自分が自分に対して否定的な観念、自己否定に囚われてしまうこともある。

 

反省や内省としてはいい材料になるのだが、余りに強過ぎたり深刻事として捉え過ぎると何も行動したくなくなったり続けていたことも辞めたい思考になってしまうこともある。

 

そんなときに私は心の拠り所を再確認する。

その1つに帰属意識があると思う。

何かに属している感覚。

そこで必要とされている感覚。

かけがえのない存在だと認められている感覚。

言葉は色々あるが、大事なのはその感覚だと思う。

 

高校時代、私に居場所がなかった。

クラスではいつもはぶられ友だちもいない、部活に行っても軽くあしらわれる。

担任の先生にはいつも「お前はできない」と言われ続け、保健室でも何も話も聴いてもらえない。

家に帰っても丁度家族の中が収集がつかなくなっている時期だった。

自分って居るのかな。

そんな様に自分の存在意義やそもそも存在しているのかすらも疑うようになった。

だって誰もが私に無関心であり、必要とされていない、透明人間のような感覚だった。

でも、そんなときに唯一、私を認めてくれた人がいた。

中学時代の一人の友だちだった。

中学時代は他にも沢山の友だちと言える人たちがいたが、高校に入り次第に蝕んでいく状況に耐えきれず落ちていく私の変化から関心の対象ではなくなったのだろう。

それもまた、辛かった。

「信頼していたのに、人ってこんなものなのか」

と思ったり、でも同時に、

「こんなに暗い自分といても誰も楽しくないよな…」

と思い、人も責めるが自分のことはそれ以上に責めていた。

でも、そんなときに中学時代の一人の友だちだった。

彼とは落ち切っているど真ん中、高校2年頃のときに中学卒業後はじめて開催された同窓会(シンプルにごはん会だが)で久しぶりに再開した。

お互い別の高校でそれぞれが新しい環境でいそがしい、そう思っていた為、連絡は一切取っていなかった。

会が終わって解散のムードが出て来た頃、私は彼に外に呼ばれた。

そして開口一言、

「なんかあったん?」

彼は気づいていた。私はこの会では明るく振る舞っている、そんなつもりだったが、彼は当時との変化に気づいてくれていた。

そこから彼とは定期的に会うようになった。

色々なところに連れ出してくれた。

色々なことを進んで教えてくれた。

今振り返っても彼には何のメリットもなかったかもしれない。

それでも彼は私に居場所を与えてくれた。

だから私は、今、ここにいられる。

心からそう思っている。

 

その場所は、家族かもしれない。

友人とのグループかもしれないし、ネット上のコミュニティも該当するかもしれない。

形、人数、規模。それはきっと様々だ。

でもそのたった1つでもあれば、それは生きる理由に、希望に成る。

 

今の私の場合は、1つの団体が思い浮かんだ。

今、大事な役を任されている。

確かに仕事では必要とされていないかもしれない。

それでもこの場では必要としてくれている。

なんとしてもその思いに応えたい。

 

今は、ただそれだけだが、それだけが行動の力になってくれていると言える。

 

私は何者か

 

その答えをくれるそんな居場所が心の拠り所ではないでしょうか?