学んでいることの意味【平日投稿7日目】
何故学ぶのか
義務教育では教育の義務があるとおり、学ぶことは義務でありある意味強制であった。
だが社会人になってからの学びは義務ではなく任意である。
それでも学ぶ。
そこには必ず理由がある。
学びも見つめれば、学ぶこと自体も楽しいのだがそれはあくまで二次的なものに過ぎない。
一番には「もっとよくなりたい」、ひいて「幸せになりたい」という純粋で本質的な祈りがあるのではないかとこの頃思う。
幸福感は散財や過度な消費行動、または飲んで騒いで、でも味わえるかもしれない。
だがそれは一時的、一過性のものであり、長期で観ると実は破壊行動であるケースもあると考えている。
だから私は学びにプライベートにおける大部分の時間を費やしている。
長期的に捉えているからだ。
このブログ、「将来の為のブロク」も「将来の為」と先を見越して今の自分にできることの一つとして始めた。
私はよく言われる。
「学んで何の意味があるの」
「そんな時間と金があるなら遊びに使えよ」
などと、言葉を変え、また人を変え、言われる。
しかも言ってくる人は私よりも地位が高かったり、社内では仕事ができるから嫌になる。
そしてそんな自分がばかばかしくなることもしょっちゅうだ。
でも私は今の自分は観ない。
未来の自分に渡せるもの、未来の自分の為にできること。
それが結果的に今の自分(未来から観たら過去の自分)を唯一肯定できることだと信じているからだ。
不器用だと思う。
それでも才能ではない可能性を示して行きたい。
だからこれからも続けて行く。
これしかできないのだから。