進路選択の岐路に立ったとき【平日投稿15日目】
本日、仕事の中でそれぞれ中学生と高校生の受験を控えたお子さんをもつパートさんとお話しする機会がありました。
スポーツ(今回のケースはサッカー)において富山では、
地区、エリア、県、北信越、全国、インターナショナル選抜…と
上には上があり、どこまでも先があり、
更に細分化すると、
カターレ組、部活動組、選抜組…など
横にも幅広くカテゴライズされ、所属が重複、複雑に絡み合いながらも
実力差が如実に現れているそうです。
サッカーという一つのスポーツを取ってみても、
どこまでめざすか
その為にどこに所属するのが最善か
そのコミットメントのレベルや所属意識を置く地点の選択という点で非常に考えさせられました。
というのも、当時の自分はどうだったか、という振り返りのきっかけになったからです。
私は小学はクラブチーム、中学、高校は部活動でバレーボールを合計9年間続けて参りました。
その中で何一つ成果を挙げられなかった理由としては才能というよりも意識、という部分で弱かったことが最大要因だと考えました。
小学3年という比較的早い段階で出会いを頂きながらも、
そして決して不真面目な練習態度であったかというと全くそうではなく、病欠怪我以外の休みはなしの皆勤賞、常にレギュラー、副キャプテンという立場ながらも目立った成績もなし。
色々な外的要因もあるかもしれない。
指導者やメンバーの参加意識といった環境のせいにできるかもしれない。
でもその中で自分は何もできないという選択をしてしまっていた。
極論、上を望むなら環境を変えてでもめざしたはずだ。
それでも、全力でやっていたことに疑いはない。
高校では練習の後、一人で無料のスポーツジムに通い筋力トレーニングをしていた。
参加意識のない顧問の先生では危機感を感じ、経験者の体育の先生に個別にトレーニングの相談も定期的に行い、指導も頂いていた。
それでも、地区大会の1回戦を勝利することしかできなかった。
決して周りのせいではない。
本当に怖ろしいことだ。
今ではボールに触ることはおろか、実況中継をテレビで観ることすらはばかっている。
全力でやっていた。
ただ…何も考えずにやっていた…。
これが最大の悪習慣だったと今なら思える。
練習もやっていた…提示されるままに。
それもどこをめざしているとも定めずに…。
前の学校でもバレーボールをしていたからこの学校でも…。
高校は3年間だから、3年バレーボールをするんだな…。
チームとしてはとりあえずは地区大会で勝つことを掲げるんだな…。
など、
一般的な「こうしたらとりあえずは誰にも怒られない」といったある意味、人の目を気にするような、一般的な過ごし方に埋没していた。
そこに自分の思いはなかった。
だって、それが「当たり前」だと狭い思考に囚われており、狭い思考に囚われていることすら気づかず、狭い思考が世界の総てだと思い込んでいたから。
大学では、
アルバイトは10代接客未経験にしてバーテンダーと、
自分の思い「だけ」を軸に進路を選択していった結果、考えや実績を少しは残せたと考えている。
進学の進路に関してもそうだ。
先生が学力からここに行けって言ったから。
とか、
周りがそこに行くからなんとなく。
とか、
そのときの自分の思考にとっては最善の選択だったと考えてやまないから後悔はしていないが、もっと違う思考をできていればもっと違う未来になっていたのにな、とは時間を俯瞰して思う。
長くなったが、
失敗談、過去の自分を反面教師にして
ここには熱い思いがどうしても乗ってしまう。
「進路」
というと、どうしても学生時代の進学や就職を思い浮かべがちだと思うが、
大人になった私たちも常にいつでも「進路」は問われている。
転職や結婚といった一大イベントもそうだし、
日々の何気ない、代わり映えのしない中にも「自分で」進路は創り出せる。
見方をかえると学生の進路選択は3年に1回だが、
大人の進路選択は3年に0回も自由だし、1年に100回でも自由だ。
私の中学時代のときに見出したテーマ、
ここには日常こそが非日常だという気づきが含まれている。
面白い程に、
自分で決めて、そしてやり切ったことしか何一つ身になっていない。
進路
どこに向かえばいいかわからないことの方が多いかもしれない。
こんなときにヒント。
「より険しい道を」
「よりワクワクする方を」
あくまで私の指針ですが^^